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羽生詩織(N) 羽生詩織 羽生詩織+ 羽生詩織++ [蹂躙] 羽生詩織 タイプ 龍 レアリティ N タイプ 龍 レアリティ N タイプ 龍 レアリティ N タイプ 龍 レアリティ HN レベル上限 20 コスト 1~ レベル上限 20 コスト 1~ レベル上限 20 コスト 1~ レベル上限 30 コスト 1~ 攻撃値 140~ 守備値 160~ 攻撃値 150~ 守備値 180~ 攻撃値 170~ 守備値 190~ 攻撃値 180~ 守備値 210~
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・羽生治サブイベント (教室) ぐ~~きゅるる~~ 羽「…………あ~‥ハラ減った~…」 主「おまえ‥‥まだ二時間目も始まってないぞ!?」 羽「まだそんな時間かよ……俺もう駄目だわ」 主「売店で何か買ってくれば?」 羽「………金ないし」 主「‥‥‥‥‥朝食べなかったのか?」 羽「…食ってない」 主「なんで」 羽「……え…そんなの、おまえ……決まってんじゃん……」 主「朝は食欲ないとか?」 羽「……いや、寝てたから。」 主「………は?」 羽「遅刻ギリギリまで寝ていたい主義なんだよ。俺は」 主「ああ、いるよな。そういうヤツ……」 羽「メシ食う暇があったら、1秒でも長く睡眠とった方が明らかに効率的だろ」 主「何が効率的なんだか……結局遅刻するくせに」 羽「…あ~~…ハラ減ったな~~…」 主「‥‥‥‥‥‥‥」 ……………あ…そういえば、カレーパン―――――― 今朝売店でやきそばパン買った時に、オバちゃんがサービスで一個くれたんだ っけ。‥‥転入記念がどうとか言いながら。 これを羽生治にあげるか……………。 いや、でも‥‥‥ ここのカレーパン、旨いらしいんだよな……… まだ食ったことないから試してみたかったが、 このままだと羽生治が哀れだしなぁ……… 羽生治にあげる→1へ やっぱりもったいないからあげない→2へ 1、羽生治にあげる 何だかんだと日頃世話になってるし、ささやかなお礼も込めてあげるとするか。 ま、ちょっと惜しい気もするが‥‥‥‥俺はまた今度試すとしよう。 主「羽生治!」 羽「………あん?」 主「ほら、喜べ!‥‥プレゼントだ!!」 羽「………えっ!‥‥‥‥おい、いいのか?」 主「おう。オバちゃんがサービスでくれたやつだしな」 羽「うをおッ!!!ここのカレーパン旨いんだよなぁ……………!サンキュ~●●~!!」 主「…今度何か奢れよ」 羽「‥……え」 主「はは。…なんてな。ジョーダン、ジョーダン」 羽生治の顔は一瞬のうちに晴れ渡った。 さっそくカレーパンにがっつく。まるで餓死寸前だったかのようだ。 きったねぇ食い方‥‥‥‥。 ……………ま、喜んでるみたいだし良かった。 2、やっぱりもったいないからあげない うーん、あげるのはやはり惜しい。 ……すまん…………羽生治。 主「あと3時間で昼休みだろ。頑張れ!」 羽「……いかん……俺死ぬわ」 主「‥‥‥寝とけ。」 羽「………………」 そのまま、羽生治は机に突っ伏した。………………
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新羽生駅 しんはにゅう Shin-Hanyu 2面4線のホームと2線の引上線を持つ地上駅。 ホームは主本線である1,4番線は10両編成までに、副本線である2,3番線は6両編成までに対応する。 当駅では急行以上の種別と通勤急行以下の種別との緩急接続が終日行われている。 特急「武州東埼スペーシア」、通勤快速を除くすべての定期営業列車が停車する。 2016年の種別再編により快速急行停車駅となった。 キロ程16.5km(浅草元町起点) 乗降客数84,090/日 のりば のりば 方向 方面 1・2 下り 姫宮市・東埼動物公園・寄居町方面 3・4 上り 南高徳・浅草元町方面 停車列車 日中は毎時12本の列車が停車する。 急行、区間準急が4本、快速急行、普通が2本で、急行と区間準急、快速急行と普通の緩急接続が終日行われている。 隣の駅 特急スペーシア ・ 通勤快速 通過 快速急行 明神前-新羽生-姫宮市 急行 南高徳-新羽生-姫宮市 通勤急行 ・ 区間準急 ・ 通勤準急 ・ 普通 竜舞水神-新羽生-妻沼平
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関東地方 埼玉県 羽生市 地球温暖化対策 羽生市役所 電話 048-561-1121(代表)
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にしはにゅう 秩父鉄道 埼玉県羽生市西五丁目 秩父鉄道 羽生←→新郷
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(2012-01-24) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第1回タイトル未定 (2012-01-31) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第2回新連載第二回 (2012-02-06) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第3回テレビ獲得大作戦 (2012-02-13) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第4回竹熊博士の異常な愛情 (2012-02-20) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第5回本格ゲームまんが(始動編) (2012-02-27) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第6回真実のストリートファイター (2012-03-05) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第7回 健康修羅地獄 (2012-03-12) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第8回 健康の果てに… (2012-03-19) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第9回 ホネホネ繁盛記 (2012-03-26) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第10回 本格ゲームまんが(挫折編) (2012-04-02) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第11回 純子の恋(前編) (2012-04-09) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第12回 純子の恋(後編) (2012-04-16) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第13回 京都は燃えているか?(前編) (2012-04-23) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第14回 京都は燃えているか?(中編) (2012-04-30) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第15回 京都は燃えているか?(後編) (2012-05-07) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第16回 京都は燃えてているか?完結編 (2012-05-14) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第17回 菌類SOS 前編 (2012-05-21) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第18回 菌類SOS 中編 (2012-05-28) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第19回 菌類SOS 後編 (2012-06-04) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第20回 タイトルを探せ (2012-06-11) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第21回 ボロもうけ、ガンジス人形 (2012-06-18) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第22回 純子へのプレゼント・前編 (2012-06-25) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第23回 純子へのプレゼント・中編 (2012-07-02) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第24回 純子へのプレゼント・後編 (2012-07-09) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第25回 ファミ通編集部のヒミツ (2012-07-30) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:「告知編」 (2013-03-25) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第26回 風邪イヤーン (2013-04-01) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第27回 バーチャル大作戦 (2013-04-08) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第28回 作用・反作用の法則 (2013-04-15) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第29回 日本海地獄フィーバー!(前編) (2013-04-22) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第30回 日本海地獄フィーバー!(後編) (2012-08-13) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第31回 愛と友情の金策 (2012-08-20) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第32回 ユキ子からの手紙 (2012-08-27) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第33回 読者様のお便り (2012-09-02) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第34回 ファミ通編集部の真実 (2012-09-10) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第35回 易者、易者、シュッポ、シュッポ (2012-09-17) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第36回 私は貝になりたい(前編) (2012-09-24) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第37回 私は貝になりたい(後編) (2012-10-01) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第38回 真実の中世ヨーロッパ・その1 (2012-10-08) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第39回 真実の中世ヨーロッパ・その2 (2012-10-15) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第40回 真実の中世ヨーロッパ・その3 (2012-10-22) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第41回 セガの秘密(前編) (2012-10-29) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第42話 セガの秘密(後編) (2012-11-12) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第43回「月影兵馬のバーチャル大冒険の巻」 (2012-11-19) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第44回「麗子ちゃんの真実」 (2012-11-26) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第45回「日本の社長」 (2012-12-03) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第46回 わくわくバーチャルランド(前編) (2012-12-10) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第47回 わくわくバーチャルランド(後編) (2012-12-17) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第48回 またまたバーチャルランド(くどい) (2012-12-24) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第49回 ミイラの叫び (2012-12-31) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第50回「炎の絶唱」 (2013-01-07) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第51回 夢の単行本大作戦!! (2013-01-14 ) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第52回 竹熊の嫉妬 (2013-01-21) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第53回 本当にあつたコワイ話 (2013-01-28) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第54回 ひろぽんのコワイ話 (2013-02-04) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第55回 芸術の夏 (2013-02-11) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第56回 「続編」とは何か? (2013-02-18) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第57回 人に技あり (2013-02-25) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第58回 祝・3000回!! (2013-03-04) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第59回 チャンコ増田のすべて!! (2013-03-11) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第60回 究極のいじめ撃退法(上) (2013-03-18) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第61回 究極のいじめ撃退法(下) (2013-04-29) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第62回 スポーツの秋(その1) (2013-05-06) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第63回 スポーツの秋(その2) (2013-05-13) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第64回 第1回グロコン大賞発表!! (2013-05-20) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第65回 単行本バカ売れ計画 (2013-05-27) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第66回 印税倍増㊙作戦!! (2013-06-03) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第67回 ユキ子・栄冠への道(その1) (2013-06-10) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第68回 ユキ子・栄冠への道(その2) (2013-06-17) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第69回 ユキ子・栄冠への道(その3) (2013-06-24) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第70回 ユキ子・栄冠への道(その4) (2013-07-01) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第71回 ユキ子・栄冠への道(その5) (2013-07-08) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第72回 ユキ子・栄冠への道(その6) (2013-07-16) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第73回 ユキ子・栄冠への道(その7) (2013-07-22) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第74回 ユキ子・栄冠への道(その8) (2013-07-29) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第75回 ユキ子・栄冠への道(その9) (2013-08-05) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第76回 ユキ子・栄冠への道(その10) (2013-08-12) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第77回 忘れられた男(前編) (2013-09-02) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第78回 忘れられた男(後編) (2013-09-09) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第79回 明日も生きてみようかな(前編) (2013-09-16) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第80回 明日も生きてみようかな(後編) (2013-09-23) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第81回 バカルン超特急のヒミツ (2013-09-30) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第82回 バカルン疑惑を追え!(前編) (2013-10-07) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第83回 バカルン疑惑を追え!(後編) (2013-10-14) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第84回 兄を求めて三千里(その1) (2013-10-21) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第85回 兄を求めて三千里(その2) (2013-10-28) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第86回 兄を求めて三千里(その3) (2013-11-04) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第87回 兄を求めて三千里(その4) (2013-11-11) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第88回 兄を求めて三千里(その5) (2013-11-18) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:第89回 兄を求めて三千里(その6) (2013-11-25) 羽生生純×竹熊健太郎 ファミ通のアレ:最終回 神々の黄昏
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人物 羽生結弦〔Wikipedia〕 ■ テン君騒動 カザフの報道と過去の練習妨害 「キッサンケッロ 猫の鐘(2016.4.2)」より / ※mono.--フィギア世界選手権がボストンで開かれているが、そこで騒動となった「デニス・テンと日本人スケーター練習中のニアミス問題」が急展開。という話題です。 SP演技後の、あのドヤ顔は「どうなの?」と思っていた矢先だったので、フィギアを知らない私はこの記事を読んで「なるほど、だからか・・・」と思った。意外と“あれ?”と思った『印象』というのは当たっているものだなぁ。 必読のブログ記事!! ■ 羽生結弦 GPファイナル・男子FS 2013-12-06 +Youtube動画 ★ 【ソチ五輪】フィギュア羽生結弦選手が美しすぎて中国女子が大悶絶「アイヨォォー!!」「もう私の心の扉を閉じることはできないッ」 「ロケットニュース」より / 現在、ロシアで行われているソチ冬季オリンピック。日本時間2014年2月14日に行われたフィギュアスケート男子ショートプログラムで、日本の羽生結弦選手が101.45点をマーク、暫定1位となった。ショートプログラムでの100点超えは史上初のことだ。 そんな羽生選手を祝福し応援しているのは、日本だけではない。なんとお隣・中国女子も羽生選手に夢中! ネットユーザーの間で「アイヨォォー!!」「もう私の心の扉を閉じることはできないッ」などと、ちょっとした話題になっているのだ。 漫画から出てきたようだと話題 細身でほどよくついた筋肉、そして優しい顔立ちの羽生選手。日本でも『エヴァンゲリオン』の碇シンジにソックリだと話題になったが、実は、2011年頃から中国の一部ファンの間でCLAMPの作品に出てくる男子キャラにソックリだと注目されていたのだ。 それが、ソチ五輪の素晴らしい演技で多くの中国人が知るところに。それまで羽生選手を知らなかった中国人も「可愛い!」、「漫画から出てきたみたい」、「まるで二次元の存在!」と大注目なのだ。 羽生選手に対する中国ネットユーザーの声 「誰なの、あの可愛い子は!?」 「あああああああああ、カッコよすぎ~!!!」 「私の天使ちゃん」 「羽生君の演技は何と言ったらいいかわからない……まるで絵のよう。愛してる! 新しいスケートの王子様だわ!」 「アイヤー!! 日本スケート界にとんでもなショタがいた! 羽生結弦くん!! 滑ってる姿が本当に美しい」 「神だ、美しいとしか言いようがない」 「女子の柔軟さと男子の力強さを同時に持っているなんて! さすが世界最高得点だよ」 「すごい! すごい! 最高点!! Yeah!」 「アイヨー! アイヨォォーーー!! なんて言ったらいいかわからない! 漫画の中から飛び出して来たみたいだわ~」 「魂を持ってかれちゃう!」 「音楽もジャンプも動きもプログラムも、もう私の心の扉を閉じることはできないッ!」 「ユヅルクン、ガンバッテ!!」 「萌えすぎて爆発しそう!」 「神レベルの演技。外国選手にこんなに感動したのは初めて」 「美しすぎて泣いた。ひざまずいてペロペロしたい」 「女子は真央ちゃんに男子は結弦くん。日本チームは目の保養になるねぇ」 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) ◆ 【これは酷い】朝日新聞社内、羽生結弦の金メダルで【 お通夜状態 】になったらしいぞ!!!「畜生」と叫ぶ記者もいたらしい!!!もう骨の髄まで反日だな… 「NEWS.U.S.(2014.2.15)」より ーーーーー ◆ 【動画】韓国「起源は韓国」発狂!記者「どこに感謝?」→羽生「日本の国旗・日本の国、日本の方々に」→安倍首相「日の丸を背にしたウイニングランに感動した。 はさすが日本男児」 「おーるじゃんる(2014.2.15)」より ーーーーー ◆ 【悲報】ソチ五輪フィギュアスケート「羽生結弦」 起源が韓国だったことが判明し、韓国で一斉報道! 「おーるじゃんる(2014.2.14)」より ーーーーー ◆ 【これは酷い】朝日新聞社内、羽生結弦の金メダルで【 お通夜状態 】になったらしいぞ!!!「畜生」と叫ぶ記者もいたらしい!!!もう骨の髄まで反日だな… 「NEWS.U.S.(2014.2.15)」より .
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登録日:2016/09/17 Sat 15 43 34 更新日:2024/03/18 Mon 17 31 29NEW! 所要時間:約 13 分で読めます ▽タグ一覧 A級 いろは坂 タイトル 世代 伝説 個性派 名人 天才 将棋 棋士 羽生世代 聖の青春 超新星 黄金世代 羽生世代とは、羽生善治および羽生と年齢の近い強豪将棋棋士の総称である。 ※以下、棋士の段位等肩書は原則として当時のものではなく記事作成時点(2016年9月17日)のものを用いています 概要 将棋棋士といえば、1996年に史上初めて前人未到の七冠独占を達成した羽生善治が将棋界の枠を超えた知名度を誇る。 その羽生(1970年生まれ)と年齢の近い将棋棋士にも実力者が多く、彼らを指す総称として羽生世代という表現が使われている。 一般に羽生世代と見做されている棋士は、全員が九段(村山は死後九段追贈)・順位戦A級経験者・全棋士参加棋戦優勝経験者であり、村山・先崎を除く全員がタイトル保持経験者である。 後に羽生世代と呼ばれる棋士のうち村山・佐藤・羽生・森内の4人は10代のうちから実績を出しており、 島朗九段は彼らをチャイルドブランドと呼称した。ちなみに島は佐藤・羽生・森内の三名と研究会を行っていたこともある。 後に佐藤と羽生は将棋連盟の会長、森内は専務理事(No.2)を務めており、連盟の代表としても活躍している。 ここまで突出した理由として、羽生の「将棋はゲーム」発言に代表されるように合理性重視の研究で腕を磨いたのも大きいとされている。 また彼らの多くが従来の将棋であまり開拓されてこなかった序盤戦術に強みを持っていたこともよく挙げられる。 1990年代に入ると羽生世代からタイトル挑戦・獲得者、一般棋戦優勝者が続出。 90年代末には丸山と藤井が台頭。2人は特定の戦法に特化することで同世代に追いつき遅れてきた羽生世代と呼ばれた。 2010年代半ばに至るまで、タイトル戦は「羽生世代vs羽生世代」もしくは「羽生世代vs他の世代」という構図がほぼ全て。 1995, 1998, 2000-2001年度は羽生世代だけでタイトルを総なめしており、羽生世代が如何に棋界を席巻してきたかが窺える。 同世代で若い頃から苦楽を共にした関係からお互いの交流も多くの下記にも上げる様に逸話も多い。 ●目次 概要 羽生世代の棋士村山聖(1969年6月15日~1998年8月8日) 佐藤康光(1969年10月1日~) 先崎学(1970年6月22日~) 丸山忠久(1970年9月5日~) 羽生善治(1970年9月27日~) 藤井猛(1970年9月29日~) 森内俊之(1970年10月10日~) 郷田真隆(1971年3月17日~) 広義の羽生世代の棋士屋敷伸之(1972年1月18日~) 深浦康市(1972年2月14日~) エピソードいろは坂事件 羽生世代の棋士 村山聖(1969年6月15日~1998年8月8日) 恵まれた才能を持ちながらも、病のため若くしてこの世を去った悲運の天才棋士。 広島県出身。5歳の頃に腎臓の難病・ネフローゼに罹患していることが発覚したため、院内学級と養護学校で少年時代を過ごす。 入院中に父親が将棋盤を持ってきたのがきっかけで将棋と出会う。外出日を活用して地元の将棋教室である広島将棋センターに通いメキメキと力をつけていった。 この頃には既に飛車落ちではあるが棋聖のタイトル保持者であった森安秀光を破っている。 奨励会入会にあたって知人の元奨励会員に相談するがまだ早いと保留される。 只、いつまで生きられるか分からない村山は夢を叶えるために早期に奨励会入りを果たす必要があったため広島将棋センターに相談。結果、大阪の森信雄を紹介される。 森も村山と面会し一目で気に入った為そのまま弟子入りが決定… すると思われたが、以前村山側から相談を受けた元奨励会員が灘蓮照(*1)に村山を紹介しており、灘本人も村山を弟子にする手続きを進めてしまっていたため一悶着が起きる事になった。 この件については森の師匠である南口繁一の仲裁で森門下で弟子入りすることで決着がついた。 奨励会入りを機に村山は大阪に引っ越すが、森は病を抱える村山と同居し献身的に支え、どっちが弟子かわからないと評されるほどであった。 42℃以上の高熱が出たら死ぬと言う村山に対し、実際に超えていても超えていないと嘘をついて安心させていたらしい。 奨励会入会から2年11ヶ月という異例の速さでプロ入り(*2)。奨励会時代から「終盤は村山に聞け」と言われるほど実力には定評があった。 村山自身は名人のタイトルを目標としていたが「名人になって早く将棋を辞めたい」と自分に残された時間が長くないことを悟っていたかのような発言をしていた。 闘争心が強く、特に谷川浩司や羽生に対しては執念を持って対局していた。 愛称は「ヒジリちゃん(*3)」。 趣味は読書。特に漫画が好きだったらしく自宅には3000冊以上置かれていた。同じ物は三冊揃える主義。師匠の森も村山が体調不良の時は少女漫画の買い出しに行かされていたとの事(*4)。 もし健在だったらそういった部分でもアニヲタ民からも注目を集めていたかもしれない。 1990年に若獅子戦(*5)で棋戦初優勝。 1992年度には王将戦への挑戦権を獲得し、当時の保持者である谷川と対決するも0-4で奪取ならず。これが最初で最後のタイトル挑戦となった。 暫く関西所属であったが、1994年に関東に移籍。関東では下記の先崎学や郷田真隆などと麻雀に興じるなど交流を持った。 お酒、特にワインが好きだったが泥酔することも多く、佐藤康光の新車を汚したり、急性アルコール中毒で病院に運ばれ先崎がお見舞いしていたこともある。 弟弟子の山崎隆之や増田裕司の事もよく面倒見ていた。 関東移籍後も順位戦は順調に勝ち上がり、1995年には森内俊之と同時に遂にA級昇級を果たした。 1996年度には早指し将棋選手権で勝ち、初の全棋士参加棋戦優勝を果たす。 しかしこの頃から体調が悪化、持ち時間の長い順位戦で実力を発揮できず1997年春にB級1組に降級。その後膀胱癌が見つかり手術を受けた(放射線治療と抗癌剤治療は副作用による対局への影響から拒否している)。 それでもこの年度の順位戦は休場せず、手術一か月後には丸山忠久と深夜までの激闘を行った(結果は丸山の勝利)。万が一に備えて看護師や増田が近くで見守っていたとのことである。 この時は負けてしまったものの1期でA級復帰を決め(丸山も一緒に昇級した)、NHK杯でも準優勝(決勝で終盤にミスがあり羽生に敗れた。)(*6)するなど調子を取り戻したかに見えたが…。 「…2七銀」 1998年春、癌の再発・転移が見つかり1年間の休場を発表。 同年8月8日、29年という短くも太い生涯を終えた。 入院の件は師匠にも他の棋士にも知らせず交流も絶っていたが、羽生には会っており結果的に村山が最後に話した棋士となってしまった(*7)。 2000年、村山の壮絶な生涯を題材としたノンフィクション小説「聖の青春」(大崎善生(*8)著)が上梓された。 2016年11月には本作を原作とした、あんな役やこんな役を演じてきた松山ケンイチ主演の映画が公開された。 村山を演じるにあたって20kgもの増量を敢行した(*9)松山ケンイチ、そして若き日の羽生そっくりに扮する東出昌大は必見。 村山をプロ棋士に育て上げた森信雄七段一門はその後多くの棋士・女流棋士を輩出し、同じく大所帯の所司和晴七段一門と並び名門と称されている。 2014年には弟弟子の怪物糸谷哲郎が竜王のタイトルを獲得し、村山が成し得なかった森門下初のタイトル獲得を果たした。 【主な成績】 王将 登場1回 NHK杯 準優勝 1997年度 日本シリーズ 準優勝 1996 早指し将棋選手権 優勝 1996 若獅子戦優勝 1990 準優勝 1989 佐藤康光(1969年10月1日~) 1982年に奨励会入会し1987年にプロ入り。最も羽生と戦った棋士の一人(もう一人は谷川)。 幼いころから評価は高く、親の転勤のために関西奨励会から関東奨励会に移籍したとき、「谷川以来の名人候補を東京に取られた」と関西の棋士たちが嘆いたほど。 また、羽生がいなければ谷川・佐藤時代になっていたと言われる(*10)。 (後から新設された叡王を除く)七つのタイトル戦に登場した事がある羽生世代の棋士は羽生本人を除けば佐藤のみであり、その実力がうかがえる。 初タイトルは1993年。羽生との七番勝負に勝ち竜王位を獲得した。 1996年にA級に上がると1998年には名人戦の挑戦権を獲得、谷川を破り名人位を獲得した。 その後は棋王や王将のタイトルも獲得経験がある他、棋聖戦は2002年度から6連覇し永世棋聖の資格を得た。 近年は棋士会の会長を務めていたが、2017年2月には三浦弘行九段のソフト不正利用冤罪騒動を受けて辞任した谷川の後任として日本将棋連盟会長に就任。2023年まで3期6年勤めた。 会長としては、ヒューリックの西浦三郎会長とのコネクションを生かし、ヒューリックや同じ芙蓉グループの大成建設がスポンサードした女流棋戦を創設する、既存タイトル戦への新たなスポンサー獲得など実績を残している。 将棋ブームのお陰で色々企画を持ってきていただけるらしいが、それでも実現に持っていくのはしんどかった模様。 さらに、会長就任後、7月末に歴代9人目、年少記録・速度記録ともに4位(*11)で通算1000勝を達成した。 また会長としての職務に追われながらも2023年時点では、羽生世代の中で一番遅くまで順位戦A級(2022年度の第80期まで)で若手に混じりつつ活躍し続けた(*12)。この事から会長ならぬ「怪鳥」とあだ名が付いた。 かつては既存の定跡形を多く指していたが、2005年頃から独創的すぎる力戦形の序盤作戦を取ることが増えた。それが変態と称されていたりもする。 その読みの深さは「1秒間に1億と3手読む」と形容されるほどであり、そんな棋風は「緻密流」と呼ばれている。 目隠し将棋(脳内将棋)(*13)も得意とし、アマではあるが同時に五人と対決し勝利した事もある。ちなみにその中には後に女流タイトルを獲得する甲斐智美も含まれていた(当時・小学生)。 趣味はバイオリン演奏、ゴルフなど。麻雀もするがあまり強くなく、若い頃は先崎によくカモられていた。 一時期、チェスも嗜んでいたが頭脳労働の余暇に頭を酷使するのはおかしいという至極当然のことに気づき、辞めた。 愛妻家で娘にもデレデレらしい。 独身時代は非常に女性にもてていた(追っかけや出待ちがいた程)ことから先崎が自身の文章で佐藤のことを度々「もてみつ君」とネタにしていたことがあり、ネット上では「モテ」と呼ばれている。結婚してからは「デレみつ君」とネタにされていた。 子供の頃は米長邦雄永世棋聖に憧れていたらしく、米長の事実上の引退が決まった後の対局では、 当時棋聖だった佐藤は、和服を着て下座に座る(棋界の序列では現役タイトルホルダーの方が格上)ことで敬意を表している。 それを受けて、米長も午後から和服を着用したが、よくよく考えたら先輩に手間をかけさせてしまって逆に失礼だったとも語っている。 対局の結果?米長哲学(*14)にならって全力で吹っ飛ばました。 その一方で米長からコンピューター将棋「Bonanza」と対局する企画を持ち込まれた際に佐藤が強く断った逸話がある。 米長は「遊びで大金も貰える企画なのに何でやらないの?(意訳)」と質問したが、佐藤は米長を正座させて「遊びで将棋やってたんですか?」と逆に説教したそうである(*15)。 【主な成績】 タイトル戦 竜王 1993(1期)、登場5回 名人 1998-1999(2期)、登場3回 王位 登場5回 王座 登場3回 棋王 2006-2007(2期)、登場6回 王将 2001, 2011(2期)、登場8回 棋聖 2002-2007(6期、永世棋聖)、登場7回 獲得合計13期、登場合計37回 一般棋戦他 銀河戦(非公式戦時代も含む)優勝 2003, 2008, 2010 準優勝 1998 ベスト4 2012 NHK杯優勝 2006-2007, 2016 準優勝 1993, 2001 ベスト4 1994, 2008 全日本プロ将棋トーナメント ベスト4 1997, 2000 日本シリーズ優勝 2004, 2006 ベスト4 1994, 2001-2002, 2007, 2012, 2016 新人王戦準優勝 1993 達人戦立川立飛杯 ベスト4 2023 ABEMAトーナメント ベスト4 2020(谷川浩司・森内を含めた3名) 小学生名人戦 ベスト4 1981 そして後述するエピソードの主犯である。 先崎学(1970年6月22日~) 1987年プロ入り。現行の三段リーグを制してプロ入りした初の棋士である(*16)。 奨励会は羽生世代最も早い1981年に入会。小学生のうちに2級まで上がり「天才」と称された。 1979年に行われた大会「よい子日本一決定戦・小学生低学年の部」では羽生と優勝を争っている(この時は先崎が勝利)。 中学生時代は同級生からいじめられ、教師にも助けてもらえない環境だったので(*17)学業から逃げる形でより一層将棋にのめり込んでいった。 しかし先輩に誘われて徹夜麻雀などの遊びを覚えてしまい一時低迷したことがあった。その後は羽生が中学生プロ棋士となるなどチャイルドブランドの面々や郷田に追い抜かれていることに気づき向上心を取り戻したという。 1990年度のNHK杯で優勝し、羽生世代としては羽生・森内に次いで全棋士参加棋戦初優勝を果たした。 1998年にA級昇級を遂げ、2014年に八段昇段後250勝の勝数規定により九段昇段したことで羽生世代の全員が九段昇段を達成した。 羽生世代では唯一タイトル戦に登場したことは無いが複数回、挑戦者決定戦(3位)まで行った経験はある。いずれも飲み仲間の佐藤康光に敗れている。 愛称は「先ちゃん」。データに頼らず感覚を重視する棋風は「無頼流」と呼ばれることもある。若い頃は血気盛んでやんちゃであり、その言動や振る舞いはしばしば話題に挙がっていた。 棋士にしては口八丁な人物。文才も豊かで、週刊誌にコラムを持つなど執筆活動も多く、村山聖への追悼文や第13期竜王戦第7局観戦記「一歩竜王」、第76期名人戦でのPVで使われた「昇る落日」は評価が高い。 エッセイも多く出しており、漫画「3月のライオン」の将棋監修も行っている。 かつてコーヤン中田功七段に誘われたのがきっかけでパチスロにハマっていた時期があり、情報誌がない中リーチ目を解析してかなり稼いでいたという。 また、将棋界屈指の雀力の持ち主で囲碁やパズルを解くのも趣味。 師匠は故米長邦雄永世棋聖。この世代には珍しく内弟子(住み込み)をしていた。そのため、師匠とのエピソードも豊富。 奥さんは囲碁棋士の穂坂繭三段。日本将棋連盟囲碁部の師範を務めていた時期があり、先崎を含む羽生世代達とはその時に出会ったそうである。 夫婦二人で囲碁将棋サロン・教室「囲碁・将棋スペース 棋樂」を運営している(*18)。 2017年には上のソフト不正利用冤罪騒動での心労等が原因でうつ病になり、療養の為に休場。 この時引退する事も考えたが、休場を勧めた精神科医のお兄さんや奥さん、同年代の佐藤康光、弟弟子の中村太地、研究会仲間等の支えもあり半年後に復帰した。 そのときの経験談は「うつ病九段」として上梓(*19)され、その後ラジオ・テレビドラマ化されている。 ちなみに当人が休場届を出そうとしたら、連盟にフォーマットの類がなかったため、「一身上の都合により休場する」云々と一筆書いただけのものを出したらそのまま掲載されてしまい、重病説が飛び交ってしまった。 【主な成績】 銀河戦 ベスト4 1993, 2001 NHK杯優勝 1990 準優勝 2002 若獅子戦 優勝 1991 丸山忠久(1970年9月5日~) 1990年にプロ入り。順位戦C級1組在籍時には驚異の24連勝を達成したが、その中には加藤一二三や米長、谷川、羽生等の名だたる強豪が含まれていた。 1997年度のB級1組で全勝(史上初)した後にA級に昇級。 1998年度の全日本プロトーナメントで全棋士参加棋戦初優勝を果たした。 2000年に佐藤を破り自身初タイトルとなる名人位を獲得。2002年度には棋王12連覇中であった羽生から棋王位を奪取した。 角換わりの名手で自身も丸山新手を考案。その結果、一時は角換わりは先手必勝と考えられ後手同型を消滅させたこともある(後に佐藤が対抗策を考案し後手同型も復活した)。 ゴキゲン中飛車への対抗策である丸山ワクチン(*20)を考案したことでも知られる。 優勢になっても勝ちを急がず相手の手を殺す手堅い(将棋用語で「辛い」という)棋風が特徴で、「激辛流」などと呼ばれている。所謂「友達を無くす手」。 その一方で丸山自身は至って愛想の良い人柄であり「ニコニコ流」とも呼ばれる。 若い頃の見た目の話題だと上の佐藤や下記の郷田真隆がよく話題に挙がるが、丸山も愛想の良さから女流棋士からの人気も高かったそうだ。 また対局時の駒音が小さいため「音無し流」とも言われたりしている。 普段から筋トレを欠かさない肉体派。その成果は対局中に見える上腕の太さが物語っており、50歳の時点でペンチプレスも100kg6回2セットまで上げられる剛腕。 思考の際は腕を直角に折り曲げ、肘と太ももの間に扇子で立てて支える「マッスルポーズ」を行って考えるのが習慣である。 本人曰く、体の負担を減らすために無意識に行い始めたとのこと。 その影響か日頃からカロリーを必要としており、棋士の中でもひふみんこと加藤一二三九段と並ぶ大飯喰らいで知られている。 ひふみんと同じく食事は固定気味で、昼は麻婆豆腐定食、夜はヒレカツ定食が定番。勿論おやつも食べる。 2007年度A級順位戦最終戦(いわゆる将棋界の一番長い日)、藤井との対局のさなか深夜12時を過ぎてからカロリーメイトを摂取し始め、 解説の聞き手を務めていた千葉涼子女流四段(*21)はこれを見て「用意周到丸山流」などとユニークな表現をした。 暑がりらしく、2010年度A級順位戦最終局での対渡辺戦では、冷却ジェルシートを頭に貼って対局し、衝撃をあたえた。 2016年年度竜王戦では上のソフト不正利用冤罪騒動で三浦弘行九段に代わってタイトル挑戦者になる。 只、三浦の無実を信じていた丸山にはかなり不本意だったらしく「不審に思ったことは全然ない」「僕はコンピューターに支配される世界なんてまっぴらごめんです」と寡黙な丸山にしては珍しく感情が入った発言している(*22)。 一時期軽井沢に住んでたり、突然ミス日本フォトジェニックであった女性と結婚するなど、私生活には少々謎が多い。 加えて対局以外での露出が極めて少ないことでも知られているが、2018年にはカロリーメイトのCMに出演したことが話題となった。 2023年の銀河戦では渡辺明、永瀬拓矢、藤井聡太と言った若手の強豪を倒して53歳にして悲願の初優勝を達成。今まで藤井猛(当時46歳)が持っていた銀河戦最年長優勝記録を更新した。 50代棋士の全棋士参加棋戦の優勝は1993-1994年度のNHK杯で優勝した加藤一二三以来の約30年振りの快挙となった。 そして12月には通算1000勝を達成。同世代では羽生、佐藤に次ぐ3人目の特別将棋栄誉賞を受賞した。 【主な成績】 タイトル戦 竜王 登場3回 名人 2000-2001(2期)、登場3回 王座 登場1回 棋王 2002(1期)、登場2回 棋聖 登場1回 獲得合計3期、登場合計8回 一般棋戦 銀河戦優勝 2023 準優勝 2010 ベスト4 2006, 2009 NHK杯優勝 2005 準優勝 2013 ベスト4 1991, 1996, 2002-2003, 2009-2010, 2018 全日本プロ将棋トーナメント優勝 1998 ベスト4 2000 朝日杯 準優勝 2007 日本シリーズ優勝 1999, 2001 準優勝 2002 ベスト4 2005, 2012-2014, 2018 新人王戦優勝 1994-1995 準優勝 1996 達人戦立川立飛杯 準優勝 2023 羽生善治(1970年9月27日~) もはや説明不要の存在。日本将棋連盟会長(2023年現在)。 史上3人目の中学生プロ棋士、五段時のNHK杯で(当時現役の)名人経験者4人全てをなぎ倒して優勝、そのNHK杯ひふみん戦での▲5二銀など随所に光る羽生マジック、1996年の七冠独占、永世七冠保持、七大タイトル保持90期越え…その記録とインパクトは他の棋士の追随を許さない。 詳細は当該項目を参照されたし。 藤井猛(1970年9月29日~) 平成の振り飛車党を代表する存在。特に四間飛車の採用が多い。 左美濃・居飛車穴熊対策の四間飛車戦法である藤井システムを生み出し振り飛車の中興の祖とされている。 他にも対ゴキゲン中飛車5八金右超急戦、藤井矢倉の考案、B級戦法であった角交換四間飛車を戦法として確立させるなど序盤戦術の革命家。 将棋を覚えたのが小4、楽しさに気付いたのは小6から中1の頃、奨励会に入ったのは16歳と他の羽生世代の棋士と比べると遅かったが故に、プロ入りも1991年とこの中では最も遅い20歳の時だった。 普通は20代でプロ入りする棋士が多いので藤井は決して遅いわけでは無い事は伝えておく。他が早すぎるだけである。 1970年代から普及した居飛車穴熊の影響で振り飛車は苦境に立たされており、その対抗策もなかったことから振り飛車は一戦級の戦法ではないとしプロの間で使用者は減少していた。 そのため振り飛車で活躍するためには必然的にこの問題に向き合う必要があり当然藤井もその研究を行うことになった。 藤井システムの名は1994年に藤井が左美濃対策での四間飛車の立ち回りを見た島朗がその名で呼んだのが始まり。 戦法として藤井システムは翌年の1995年の順位戦で対井上慶太戦で使用したのが元祖とされている。この時はわずか47手で藤井が勝利を収めたが、この段階では藤井システム自体は注目されず、単に井上の連勝記録を止めた実績の方が評価されていた。 本人的にも藤井システムはまだ研究途上なこともあり、この頃は公式戦では積極的に指していなかったことも要因。 そして1996年度に藤井システムが評価され新定跡を生み出した者に与えられる将棋大賞升田幸三賞を受賞。 成熟した藤井システムを原動力に1998年に谷川から竜王位を奪取(4-0のストレート勝ち!)、その後史上初の竜王位3期連続保持を果たした(*23)。 「居玉を避けよ」「玉飛接近するべからず」と言う従来の王道も無視した藤井システムは当時大きな衝撃を与えた。羽生も「最初はふざけてるのかと思いました」「創造の99%は既存の物だが藤井システムは残りの1%(意訳)」言ってしまうほど(*24)。 初の順位戦A級昇級は2000年度。同郷の弟弟子のみうみう三浦弘行と同時昇級である。 2008年の中頃から飛車先を早めに突くことで急戦矢倉を牽制しつつ、角交換の起こりやすい脇システムと角交換に強い片矢倉を組み合わせた早囲い(藤井矢倉)を用い、居飛車にも影響を与える(*25)。 2009年頃からは角交換四間飛車を用い結果を残すようになり、他の棋士も採用を始めた。 これが評価され2012年度には藤井システム(1996年度)に続き二度目の升田幸三賞を受賞している。 四間飛車党としては藤井は鰻屋に例えており、「こっちは鰻しか出さない鰻屋だからね、ファミレス(オールラウンダー)の鰻に負けるわけにはいかない」と発言したことがある。 2007年にゴキゲン中飛車を採用した際には「もう鰻屋だけじゃやってけない。これからは多角経営ですよ」、2008年に居飛車の矢倉を指すようになった時は「私は鰻屋なので、居飛車屋の超高級五つ星レストランが建ち並ぶ銀座の目抜き通りに、やっと屋台の居飛車屋を出店したばかりの状態です。 鰻のことに関しては語れますが、居飛車のことに関しては語れません」と印象的なコメントを残している。 ちなみに居飛車に関しては(後述の理由で)プロ入り直前に勉強していた時期があり、この経験が藤井システムの構築にも活きていたようである。 竜王戦で同じ振り飛車党の鈴木大介から挑戦された際は、相振り飛車での勝率が高い鈴木に対しては分が悪いと判断し、逆に居飛車穴熊を使用し防衛に成功している。 また、藤井を語る上で欠かせないのが終盤戦。 NHK杯対丸山戦の▲8三飛(*26)に代表される、珍手奇手鬼手悪手がしばしば姿を見せることから終盤のファンタジスタ(略してファンタとも)と呼ばれ親しまれて(?)いる。 その他にも大駒を大胆に切って相手玉に露骨に食らいつく様がガジガジ流とも呼ばれている。 上記のようなユーモアのあるコメントは解説でも見られ、みうみうとのユニークなやり取りなどは必見。 こういったことからネットでの人気も高く、しばしば「(藤井)てんてー」などと呼ばれている。 息子さんの影響でポケモンカードゲームも嗜んでおり、2018年のポケモンカード企業対抗戦では日本将棋連盟名義で出場(結果は31位)、翌2019年のミュウツーHR争奪戦記念の特別試合で招待された上に優勝している。 余談だが、2016年9月には藤井聡太が史上最年少でのプロ入りを決めた。 彼はプロ棋士も多数参加した詰将棋解答選手権で小学生ながら優勝した経歴があり、それに裏打ちされた終盤戦の強さに定評がある。 そのためか、彼は「終盤が強い方の藤井」と呼ばれていた。 そしてその実力はデビュー時点でトッププロすら本気を出さないと圧倒されるレベルで、豪運も味方にして歴代連勝記録を更新し、将棋界どころか世間一般を騒がせることとなったのは諸兄の御存知の通りである。 2023年現在は藤井聡太も九段昇段・竜王獲得をしたので藤井猛九段の方を「システム九段」と呼ぶ人がいる。 藤井は藤井聡太の師匠の杉本昌隆とは縁が深い。 杉本は振り飛車党棋士の先輩であり、奨励会時代に振り飛車党としての自信を無くしていた藤井は杉本の様子を見て自信を取り戻し三段リーグを突破した逸話がある。 また藤井システムの構築には杉本と杉本の兄弟子の小林健二等の先行研究も参考にしている。 【主な成績】 タイトル戦 竜王 1998-2000(3期)、登場4回 王位 登場1回 王座 登場2回 獲得合計3期、登場合計7回 一般棋戦 銀河戦優勝 2016 ベスト4 2004 NHK杯 ベスト4 2001 全日本プロ将棋トーナメント 準優勝 1995 朝日オープン 準優勝 2005 日本シリーズ優勝 2002, 2005 ベスト4 2000, 2003 新人王戦優勝 1996-1997, 1999 森内俊之(1970年10月10日~) 小学生時代から大会で幾度も対決してきた羽生のライバル(*27)。羽生との公式戦の対局数も谷川・佐藤に次ぐ経験がある。 同世代では唯一親族に将棋棋士がおり、京須行男八段を母方の祖父にもつ(祖父は森内が生まれる前に他界しているので面識は無い)。 京須が亡くなった後にも『将棋世界(将棋連盟の機関誌)』は京須の妻(=森内の祖母)宛に毎月届いていたが、 孫が将棋に興味を持ち始めたのを知った祖母が森内にそれを渡したことで将棋の奥深さを学び、より一層のめり込むようになった。 その後、京須の娘である母親の後押しもあって将棋会館での将棋教室に通うようになる。 大会で羽生と対局した縁から羽生が当時通っていた八王子将棋クラブに遊びに行ったこともある。 かつて京須の家で下宿していた縁のある勝浦修の門下に入り1982年12月に羽生・郷田と共に関東奨励会に入会。1987年にプロ入り。 全棋士参加棋戦初優勝は1988年度の全日本プロトーナメント(現朝日オープン将棋選手権)で、当時18歳であった。 順位戦で無類の強さを誇り、プロ入り後わずか合計7期でA級に昇級した。 タイトル初挑戦は1996年の名人戦であり、相手は当時七冠独占していた羽生であったが、この時は1-4で敗れ羽生との差を痛感した。 その後も羽生の影を追う日々が続いた。 念願の初タイトルは2002年、丸山を破り名人のタイトルを獲得。 二日制のタイトル戦にめっぽう強く、2004年には竜王・名人・王将の三冠王(史上7人目)となった。 そして2007年に名人位を防衛したことにより名人通算5期となり、羽生より先に永世名人となる資格を得た。 2017年に順位戦でB級1組への降格が決まったことによりフリークラス宣言をしたことも話題となった。 フリークラス宣言とは順位戦を引退する行為で(途中で自主引退)しない限り65歳をもって完全引退する事が確定した。 これについては以前から考えていた様で本人的にも今回が決断の時と思ったそうである(*28)。 その後は2019年まで連盟の専務理事として佐藤会長を支えた後、 2020年から『森内俊之の森内チャンネル』と言うYouTubeチャンネル(+Twitterアカウント)を開設。 将棋と他のゲームの内容を中心に不定期で投稿しているが、翌2021年にかつてニコニコ動画で投稿されたMAD『【将棋】 森内俊之 vs 森内俊之』のセルフパロディ動画が投稿され話題になった。 後進育成・人材発掘の為に地元の横浜市で将棋教室も運営している。 棋風は重厚な受けが際立っており、強力な攻め駒である飛車を受けに用いることも厭わない。そんな棋風はしばしば鉄板流と称される。 ネットでの愛称は「ウティ」。投了の際の「あ、負けました」も有名である。 好物はカレー。ファンと一緒にカレーを食べるイベントが催されたこともある。 趣味の一つにクイズがあり、2005年にはパネルクイズ アタック25に出場し優勝。羽生や佐藤と効率の良いパネルの取り方を研究していたらしい。 将棋以外のテーブルゲームも嗜み、バックギャモンの愛好家としても知られる。日本国内大会で優勝経験があり世界大会でも4位に入ったこともある実力者。 チェスも強く、大会で3位になったこともある(なおその時の優勝者は羽生で、2位となったチェス愛好家の渡辺暁氏は棋士の強さにショックを受けて寝込んだ。)。その他には麻雀やトランプも得意。 先崎曰く、何故かじゃんけんが異様に強い。普段ならじゃんけんで決めることでも森内が居るとあみだクジなど他の方法で決めていたらしい。 弟子にJK棋士として知られた竹俣紅(元・女流初段。引退と同時に将棋連盟を退会し、現在はアナウンサーに転向)と野原未蘭女流初段(アマチュアからプロ入りした女流棋士(*29))がいる。 【主な成績】 タイトル戦 竜王 2003, 2013(2期)、登場5回 名人 2002, 2004-2007, 2011-2013(8期、十八世名人)、登場12回 王座 登場2回 棋王 2005(1期)、登場3回 王将 2003(1期)、登場2回 棋聖 登場2回 獲得合計12期、登場合計25回 一般棋戦他 銀河戦準優勝 2005, 2007 ベスト4 2002-2003, 2008 NHK杯優勝 1996, 2001, 2014(3回) 準優勝 2006, 2008 ベスト4 1993, 2000, 2004, 2018 全日本プロ将棋トーナメント優勝 1988, 2000 準優勝 1997-1998 日本シリーズ優勝 2000 準優勝 2007 ベスト4 1995, 2001, 2006, 2010 新人王戦優勝 1987, 1991, 1993 準優勝 1988 達人戦立川立飛杯 ベスト4 2023 ABEMAトーナメント ベスト4 2020(佐藤康光・谷川を含めた3名) 小学生名人戦 ベスト4 1982 郷田真隆(1971年3月17日~) 1982年に奨励会入会。1990年に丸山と一緒にプロ入り。タイトルは通算6期。 1992年、谷川浩司との七番勝負に勝ち王位のタイトルを獲得。史上初の四段でのタイトル獲得を果たした(現在の昇段規定ではタイトル挑戦の時点で五段に昇段するため、四段タイトルはこれが唯一の記録となる可能性が高い)。 初のA級は1999年。タイトル戦では棋聖・棋王も獲得経験があるが、前述の王位も含めそれらは全て1期で奪われてしまっていた。しかし2014年度に王将を獲得した1年後、挑戦者の羽生を退け初のタイトル防衛(*30)に成功した。 直線的な攻め合いをする剛直な棋風で、序盤から長考することも多い。 本人曰く、選択肢が多いからこそ悩むとの事だが、それを生かしにくい早指しの方でも実績を残している。 その指し手や佇まいは格調高いと評されている。 趣味はプロレス・野球といったスポーツ観戦。好きなプロレスラーは三沢光晴と小橋健太。野球は巨人ファンである。 酒好きでも知られるが、酒癖はあまり良い方ではないようで、酒の席で先輩である中村修や滝誠一郎に口論をふっかけたことがある。 その棋力もさることながら、若手時代は棋界きってのイケメン棋士としても話題になった。 ただ本人はルックスを話題にされるのは不満だったようで、「顔じゃなくて棋譜を見ろ!」と一喝したことも。 しかしながら不思議なことに40代に至るまで長らく独身であり、それ故か女性将棋ファンには一層魅力的に映っているようであった。 2016年9月初頭に結婚していることが明らかになり、将棋界最後の大物独身が入籍したとして話題を集めた。ちなみに奥さんは8歳年下の大島優子似で横浜ファンだとか。 結婚発表後初の公式戦であるJT杯での佐藤天彦名人との対局では二歩で反則負け。妻と二人で歩んでゆくというメッセージなのだろうか 【主な成績】 タイトル戦 名人 登場2回 王位 1992(1期)、登場4回 棋王 2011(1期)、登場3回 王将 2014-2015(2期)、登場3回 棋聖 1998, 2001(2期)、登場6回 獲得合計6期、登場合計18回 一般棋戦他 銀河戦優勝 1999 ベスト4 2007, 2013, 2015 全日本プロ将棋トーナメント ベスト4 1998, 2003, 2005 NHK杯優勝 2013 準優勝 1999, 2018 ベスト4 2004, 2012, 2017 朝日杯 ベスト4 2010-2011 日本シリーズ優勝 1993-1995 準優勝 2005-2006 ベスト4 2010-2011 新人王戦 準優勝 1994 ABEMAトーナメント ベスト4 2021(菅井竜也・深浦康市を含めた3名) 広義の羽生世代の棋士 一年度下の世代だが、上記の棋士達とプロ入り時期や活躍時期が離れておらず羽生世代に含まれることも多いので掲載する。 いずれも九段・順位戦A級経験者・全棋士参加棋戦優勝経験者である。 屋敷伸之(1972年1月18日~) 13歳で奨励会に6級で入会してから、たった2年10か月後の1988年に16歳で四段昇段。 名前をもじった「忍者屋敷」「お化け屋敷」と言う異名を持ち、居飛車・振り飛車ともに指しこなす。二枚銀急戦の使い手としても知られる。 若干17歳10か月24日でタイトル戦(棋聖戦)に登場(当時の最年少記録)(*31)。 プロ入りからの1年2か月でのタイトル挑戦としては史上最速で、順位戦C級2組在籍・四段の棋士としても史上初と大事件であった。 相手は当時のトップ棋士である中原誠。広義とは言え羽生世代の棋士で中原と番勝負をしたのは屋敷ただ一人だけである。 この時は負けてしまうが次年度の1990年度前期棋聖戦にも再び登場。中原から奪取に成功し雪辱を果たす。プロ入りから1年10か月でタイトル奪取に成功し、これは2023年現在でも歴代最速記録である。 同年度後期棋聖戦も棋聖の防衛に成功。当時の最年少防衛記録を樹立した。 また若手の森下卓が挑戦したことで対局者の合計年齢が当時最も若いタイトル戦となった。10代でタイトル防衛に成功した棋士は今なお屋敷と藤井聡太だけである。 翌年度は失冠してしまうが、その影響で最年少タイトル失冠記録も生まれてしまった。 順位戦の方も初参加でC級1組昇級が決まり、新進気鋭の若手棋士として好調な滑り出しであった…。 しかし、その後10年以上C級1組に留まってしまい、これほどの実力者なのになぜ昇級できないのかと不思議がられていた。(*32) 14期目でようやくB級2組に昇級し、22期目で遂にA級への昇級に成功した(*33)。この時39歳。 昇級が決まった日は東日本大震災が起きた2011年3月11日であり、途中中断を挟みつつ余震が続く中の出来事であった。 その後も2023年現在まで定員が決まっているB級1組以上を維持し続けている。 競艇の大ファンでコラムを連載していた時期もあった。現在は日本モーターボート選手会の外部理事も務めている。 逆に将棋の勉強は一時期スポーツ紙に掲載されている詰将棋をやるだけだったらしい。 この事もあって、1997年度の棋聖戦で研究気質で知られる三浦弘行に挑戦する際に「1日の勉強時間12時間対1分」と評された(結果は屋敷の勝利)。 しかし順位戦で足踏みしている自分が不甲斐ないと感じ反省。 その一環で健康と将棋のために大好きなお酒を禁酒することにした。その甲斐あってかA級昇級できたかもしれないと後に語っている。なお三浦とは研究仲間としても親交がある。 プロ入りした弟子に伊藤沙恵女流がいる。多くの女流タイトル戦に登場し、トップ女流棋士の里見香奈が長らく保持していた女流名人を奪取した強豪として知られる。 弟子入りした経緯は一家揃って屋敷のファンだったとのこと。 相手の時間切れで勝利した珍しい経験がある。しかもNHK杯での出来事だったので映像にも残っている(*34)。 【主な成績】 タイトル戦 棋聖 1990前-1990後, 1997(3期)、登場6回 王位 登場1回 獲得合計3期、登場合計7回 一般棋戦他 新人王戦 ベスト4 1996 NHK杯 準優勝 1996 銀河戦(括弧は非公式戦時代の記録) ベスト4 (1993), (1997), 2004, 2012, 2015-2016 全日本プロ将棋トーナメント 優勝 1995 早指し将棋選手権 準優勝 2001 ベスト4 1993, 2000 ABEMAトーナメント ベスト4 2021(永瀬拓矢・増田康宏を含めた3名) 小学生名人戦 3位 1983 中学生名人戦 優勝 1985 深浦康市(1972年2月14日~) 羽生キラーと評され、地球代表の異名で知られる棋士。詳しくはリンク先参照。 以上の棋士が羽生世代と呼ばれることが多い。 同世代には、双子棋士で有名な畠山鎮、成幸兄弟(1969年6月3日~)や2000年前後に大流行した8五飛戦法(通称 中座飛車)の創始者である中座真(1970年2月3日~)、 花村元司以来61年振りのプロ編入試験で話題となった瀬川晶司(1970年3月23日~)らが居るが、彼らは普通羽生世代とは呼ばれない。 こんな世代がいればの他の世代はたまったものではなく、年長の棋士で羽生世代からタイトルを奪ったのは谷川浩司ただ一人のみ。 屋敷を羽生世代に含む場合は、南芳一も棋聖を奪っているのでもう一人増えるが、それでもたった二人だけである。 1973年以降生まれでタイトルを複数期獲得しているのは久保利明・渡辺明・佐藤天彦・豊島将之・広瀬章人・永瀬拓矢・藤井聡太の7名のみ。 余談だが、同世代の女流棋士の方には羽生と同じ頃に全タイトル独占を果たした清水市代やそのライバルの中井広恵や林葉直子がいる。 エピソード いろは坂事件 さて、本項では羽生世代の棋士にまつわるちょっとしたエピソードを紹介しよう。 登場人物は当時島朗が主宰していた研究会「島研」のメンバーであった、佐藤康光・羽生善治・森内俊之の3人である。 時は1994年度の冬に遡る。 この時期には王将戦の七番勝負が行われており、当時の保持者であった谷川浩司九段に当時六冠を保持していた羽生が挑んでいた。(*35) そこで、佐藤が勉強という名目で森内を王将戦の観戦に誘った。 しかし、佐藤の真意は別にあった。佐藤は運転免許の取りたてであり、要は運転したくて仕方なかったのである。 この日の対局は栃木県日光市の中禅寺湖近くで実施されることになっていた。 そこで車で日光市街地まで向かったのだが、ここで問題が発生する。 日光市街地から中禅寺湖へと向かうには、九十九折りで有名ないろは坂を通らなければならない。 路面が凍結していて危険な冬のいろは坂を、何と佐藤は無謀にもチェーンやスノータイヤ等の装備なしで走行しようとしたのである。 しかしそこに待ったをかけたのは慎重派の森内。無理攻めを咎められた佐藤は森内に押し切られる形で、自車を乗り捨てタクシーで対局場に移動することに決めた。 …しかし、この話はここで終わらない。 谷川と羽生の対局が思いの外早く終了した。 陽が沈まぬうちに打ち上げ等も終わり、その日のうちに佐藤の車に羽生も同乗して帰ることになったのである。羽生道連れ 当時は阪神・淡路大震災が起こったばかり(ちょうど1週間後)でもあり、神戸市民で自身も被災者である谷川は車で帰宅する佐藤らに気をつけるよう念を押した。だがその谷川先生の忠告が帰り道において現実に起きることになる。 最初は車内での会話も弾んでいたが、ここは夜の高速道路。都内に近づくにつれて車の数も増えていく。 佐藤は周囲の車のスピードに動揺し車線内をウロウロ(振り飛車)、トラックに囲われて(トラック囲い)益々テンパる。 そんな佐藤の様子を察知してか、羽生・森内の会話も減っていく。そして佐藤が(高速どころか)夜の運転自体初めてであることを明かすと、車内は完全にお通夜状態に。佐藤の安全運転のために羽生と森内も気を使って無言だったが、内心は2人とも恐怖しかなかった。 最終的に佐藤の車は無事羽生の自宅に到着したが、羽生が佐藤の車に乗ったのはこれが最初で最後となっている(佐藤が羽生を誘うのを自重しているようである)。 この出来事の後、2016年9月までに羽生・森内・佐藤がタイトルを保持した期間は計102期(*36)。 少々不謹慎であるが、万が一事故が起き3人の命に何かあった場合、間違いなく棋界の勢力図が大きく変わっていた。 このエピソードは島朗九段が自身の著書に記したことで将棋ファンの知る所となり、後にニコニコ生放送で3人が解説を務めた際にそれぞれに本エピソードについての質問が視聴者から寄せられ、3人とも当時のことを克明に語った。 ちなみにこの出来事のメインである舞台は夜の首都高であるが、将棋ファンには最初のきっかけとなった地を冠するいろは坂事件の名で親しまれている(?)ようだ。 羽生にとっては谷川の光速の寄せに負けて敗北した直後に高速道路で幅寄せされる「高速の寄せ(煽り運転は当時も今も変わらないがドライブレコーダーが抑止力になる時代はまだまだ先)」、といったひどい目に3人とも遭遇している。 実際はいろは坂は未遂に終わって済み、ほぼ首都高事件である。 羽生はその後、自身で免許を取得し運転していたが、運転中に棋譜が思い浮かんで危険だとして運転をやめて電車等に切り替えている。 佐藤は、その後2006年に将棋連盟として将棋ソフトのボナンザとプロ棋士の対決の話を持ち掛けられ、負けたら引退も覚悟した背水の陣で挑戦を受けようか悩んでいる時に対戦を断り、代わりに渡辺明が参加しボナンザに勝利している。 当時連盟会長だった米長邦雄は「そんな固いこと言うな、ちょっと遊びで指すだけだ」と重大な仕事であるにもかかわらず遊びと軽はずみに言ってしまい、まじめな佐藤は激高し「プロ棋士として仕事でやっているのに、遊びとは何ですか?!、先生はそんな気持ちで指してきたんですか?!」と米長会長に食って掛かる。だが、1994年のいろは坂事件の冬装備無しでいろは坂を登ろうとしたワイルドな武勇伝から10年強の2006年で強気の自信まで失ってしまったのは大きな変化と言える。 米長邦雄もその後、将棋ソフトのボンクラーズとの対決で負けているのは皮肉である。 追記・修正は夜の首都高から無事帰ってきてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] タイトルだけ見るとフィギュアスケートと混同しそうだな -- 名無しさん (2020-04-17 17 25 53) ついにA級から消えるのかぁ -- 名無しさん (2023-01-30 01 53 58) ↑2 同じく。ちなみにそちらの方は「大谷・藤浪世代」と呼ばれている -- 名無しさん (2023-02-01 20 31 32) 達人戦ベスト4が全員羽生世代らしいですね -- 名無しさん (2023-11-25 02 14 40) 村山聖さんのこと描いた漫画好きやったわ -- 名無しさん (2024-01-13 11 52 21) 名前 コメント
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羽生善治 1970年生まれ。将棋棋士。1985年に史上三人目の中学生棋士となる。デビュー直後から、全棋士中1位の勝率を記録するなど頭角を現す。 同年代の棋士がそろって台頭してきころには「羽生世代」という言葉が生まれ、将棋ファンだけでなく幅広い層に人気を博した。 1996年史上初の七冠独占の偉業を成し遂げる。2007年に史上8人目の通算1000勝を、史上最年少、最速、最高勝率で達成。 通算タイトル獲得数は99期で、歴代1位。現在豊島竜王に挑戦中。著書多数。 【基本AA】 / ̄ハブ\ / ― ― \ / (●)--(●) \ | __´___ | \ `ー'´ / ,,.....イ.ヽヽ、___ ーーノ゙-、. | '; \_____ ノ.| ヽ i | \/゙(__)\,| i | > ヽ. ハ | ||
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吉川菜美子 / 合石岳 / 蛇頭峠 / 1976年 / 18時00分03秒 『神隠し』 神隠しとは、理由も無く不意に子供などが消え、探しても容易に見つからないとき、其れを超自然的な存在が異界へと連れ去ったのだと考えられたもの。 神隠しに遭ったまま帰って来ない者もいれば、ある日、行方不明になった場所から遥か離れた処や、自力では辿り着くことが不可能な高所、人の滅多に行かないような山中で発見される者もいる。 消失していた期間は様々で、数日間から数十年に及ぶ場合もある。 帰って来た者は、大抵が茫然自失の状態で発見され、如何なる理由で神隠しに遭い、何処に消えていたのかを問うても、曖昧な証言しか得られないことがほとんどである。 『迷い子』 ——ウゥ—… 火の見櫓のサイレンの音が響いている。 ——此処は何処? 気が付くと、少女は赤いランドセルを背負ったまま寂しい山道を歩いていた。 鮮やかな茜色の夕陽が、鬱蒼と生い茂った山の木々を照らしている。 目の前に伸びる自分の黒い影法師を、踏み付けるようにして少女は歩を進める。 ——どうしてサイレンを聞くと哀しい気持になるのだろう。 急に心細さを覚えた少女は、自分が何故此処に居るのかという不安に囚われた。 懸命に記憶を辿るが、まるで目覚めて思い出そうとしても消え去る夢のように、記憶はさらさらと形を崩していく。 ——ウゥ—… 火の見櫓のサイレンの音が響いている。 ——又、何処かで誰かが消えたのだろうか。 山々に木霊するサイレンは、消えてしまった母の事を思い出させる。 村人が総出で山を捜したが、決して帰って来る事は無かった母。 漆黒の闇に覆われた山に、母を捜す人々が持つ灯りが幾つも幾つも灯っていた光景を忘れる事はできない。 母は、己を呼ぶ灯火を間違えてしまったのではないか。今でも灯りを捜しているのではないだろうか。 ——山の上の光、そうだ、あれを捜しにきたのだ。 少女は、昨日、分校の帰り道で見た合う合石岳の不思議な光を思い出した。 山の尾根をなぞるように飛んでいった奇妙な光。 その光が、母の失踪と結びついているような気がして、少女は独り此所に訪れたのだ。